浄土宗 伝授山 長応院


年中行事

長応院のご案内/年中行事

お彼岸

春分の日、秋分の日を中日とした前後の一週間の彼の岸(極楽浄土)への修養の期間をさします。一般的には墓参りで済む事が多いのですが、「彼岸の入り、中日、明け」の一週間を通して仏道の実践をあらためて自覚して、先祖を思い、慈しみを感じ、全ての縁起を知る期間とも言えましょう。 その実践とは、六波羅蜜(ろくはらみつ)の「布施・持戒・忍辱(にんにく)・精進・禅定・智慧」の行であります。 特に中日は真西に太陽が沈むところから極楽浄土を想い、極楽往生の願いをあらたにする日であります。(日想観) また、お彼岸は日本独自の習慣でもあります。

施餓鬼(おせがき)

当山では5月27日に大施餓鬼会を修します。
施餓鬼法要は釈迦の弟子、阿難尊者が餓鬼にあと3日の命と告げられ供養をせよと言われ、その供養によって餓鬼は極楽に転じ、阿難も福徳を増し、寿命を延ばす事が出来たという「救抜焔口餓鬼陀羅尼経(ぐばつえんくがきだらにきょう)」から由来します。日頃供養を受けない餓鬼に飲食(おんじき)を施し供養する事で、その功徳を先祖の霊位に振り向け極楽浄土で安らかに暮らせる様に念じ、我々の福徳延寿を願うものです。
写真 法要の祭壇には、餓鬼が食べようとしても火になってしまう事から、洗い米や茄子を刻んだもの、ご飯によじ登れるように梯子や旗をたてるお飾りをします。水向けと言って、清め、冷やす作法があります。
この法要は、由来がお盆に類似している事から盆施餓鬼として7月、8月に行われる所が多かったのですが、本来、常時、何度でもやって良い法要なので季節を選び、5月頃行う寺が増えてきました。ある宗派ではこの法要をもって年回法要としているところもあります。
餓鬼の姿は、考えると今の私達の姿にだぶります。今一度、我を鏡に写し出して省みたい一時です。

お盆

写真7月13日〜15日を一応指しますが、迎えの日、送りの日に関してはそれぞれの地域の慣例によって様々です。8月のお盆、旧暦のお盆などもそうです。
釈迦の弟子、目連尊者が餓鬼道に堕ちていた母親を助けようと7月15日の僧自恣(そうじし)(雨期の僧の集会)の日に飲食(おんじき)供養をしたと言う「盂蘭盆経(うらぼんぎょう)」から由来しています。サンスクリット語のウランバーナの音写「盂蘭盆」からという説、飲食を盆に盛ったという意味からという説など諸説があります。
この話から父母、先祖への恩徳を感謝する、又、日本古来の先祖が戻ってくるという想いにつながっていったようです。「盆踊り」「精霊流し」「追善花火」など色々な形が生まれていきました。
仏壇の位牌を出して真菰(まこも)を座布団にみたて精霊棚にまつり飲食を供えます。キュウリや茄子を馬や牛にたとえ、早く来て遅く返す意味を表したりしますが、地域によって様々なお飾りをします。子孫繁栄を表す事もあります。7月1日には地獄の釜が開き7日には墓など掃除して準備に入り13日にお迎えをする、等とも言われますが、風習が強いので決まりがあって全国統一されたものではありません。
四十九日を過ぎて初めて迎えるお盆を新盆(にいぼん・しんぼん・あらぼん)と言い、白木の絵柄の無い盆提灯を飾ります。迎え火を焚き、その火で盆提灯を灯し、期間中仏様がいますよという証になります。
期間中、僧侶が棚経と言って各家を回ってお経を称えましたが、今日では、事に東京では交通事情などで回りきれず、お寺でその読経をしている所が多くなりました。当山でも墓参りをしてお迎えし、本堂で御回向を受ける形をとっております。(補足:棚経は江戸時代幕府の統制下、戸籍を管理していたお寺が家庭調査の為にも各家を回っていたそうです。しかしながら、今日では寺と檀家のコミュニケーションの一つとして有効だと考える住職もいます。)
いずれにしても、自身と命を考える一時となれば幸いです。

お十夜

写真 当山では、10月の第三日曜日に檀信徒と共にお念仏を主とした十夜別時会を修します。他のお寺でもこの時期が多いでしょう。
「無量寿経」に「この世で十日十夜お念仏に励むことは、極楽浄土で千年修行するよりも優れている」とあり、15世紀に平貞国によって京都、真如堂で初めて修されました。その後、1495年、後土御門天皇の招きで鎌倉光明寺祐崇(ゆうそう)上人が宮中で「阿弥陀経」の講義をし、真如堂の僧と共に法要を修したところいたく感激し、勅許を得て光明寺が継承していった事から始まっています。
今では一日の法要ですが、阿弥陀さまへの報恩感謝を申す浄土宗ならではの法要です。又、時期的に収穫祭も兼ねているところもあります。
古式法要では「引声念仏」を独特な節回しでとなえます。