浄土宗 伝授山 長応院


住職の豆コラム

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第86回 縁は縁を呼ぶ

仏教の教えの根本は「縁」です。難しくは「因縁生起」(原因と結果によって全てが繋がり常に変化している)です。一つの要因が色々なもので成り立ち、又それが広大無辺に関係をもたらすのです。一人の言葉や行動が他者へ良し悪しの分別はそれとして原因を作り影響をもたらします。そうした暮らしにも自然と呼吸をして酸素を取り組み太陽の光を浴びている。地に足をつき、風を感じています。目の前の茶碗との出会いは、自分の存在を与えます。五大と関係しあって人の生死もその中の一部であり、常に変動しています。
自他平等利益という考え方は、私もあなたも一緒です、というところでしょう。他者が楽であれば自分も楽を覚え、他者が苦しめば自身も苦しいという自他が一緒であることです。そもそも、縁起のことわりからして、自分一人では存在しないと考えるのが仏教です。自分の努力と精進が、他者を支えるのです。であるならば自分勝手では自己存在無視です。他者への思いが自分を支えるとも考えることができます。さていかがですか?勝手ではありませんか?法事もそうです。故人を思うことは自分を思い、仏はあなたを思うのであり自身に跳ね返ってくることです。供養は自身を救うのです。自身の精進は、他者を救うのです。考えてみましょう。縁が縁を呼ぶのです。自身は先祖の命の縁の結果なのです。


2018年11月7日