浄土宗 伝授山 長応院


住職の豆コラム

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第93回 お寺の役割

私たちは根底に欲や無智というものがあり道理に外れて自分を忘れて身勝手な暮らし方をしてしまいがちです。そういう本来の自分を忘れないように又は気づきを頂くのがお寺の役割です。
儀式儀礼だけの場ではなく、墓参りも含め淀みがちな日常から離れて道理に気づき本当の自分を呼び戻す所でしょう。
お釈迦様は「縁起/全てはつながって現象を起こしている」と悟りました。この事は、自分の存在も先祖とつながり未来ともつながるということです。つまりは、自分一人で存在せず他者と関係して存在しているということです。両親兄弟、すれ違う人もしかり、人ならずとも目の前の物、又空気や光も同じ事です。勝手がいかに愚かなことか省みる場がお寺なのでしょう。
仏事がおろそかになりつつある最近、「お陰様で」という言葉も聞かなくなってきました。誰とて自分で生まれてきた訳ではありません。独りよがりにならず、恵みとして頂いた命の感謝とその道理の気づきに目覚めていただきたいとお寺はいつも願っているのです。真の自身の在り方をお寺で培って頂きたいのです。
故に昔は、仏事を優先に生活がなされていたのでしょうし、今日では難しいのも分かりますが、一方で大きな他者である阿弥陀様はずっと皆さんを見ていられるのです。
他に慈しみの心を寄せることは、同時に自分の心を開かせることでしょう。その気づきを培うのが寺という場であると存じます。


2019年1月11日