浄土宗 伝授山 長応院


住職の豆コラム

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住職の豆コラム

第123回「頂だいた命、失礼なきよう生きましょう」

自分には必ず縁者がいます。どのような形でも自分がこの世に存在していることは因果の結果において必然でしょう。たとえそこに憎悪があったとしても。
人はすぐに善悪の分別をつけたがりますが、分別は自我執着から湧いてくるもの。損得なしにまずは受け取りましょう。 自分の存在も自然界の流れの一部です。生まれては消え、消えては生まれる循環の一部です。自我の執われに頼って生きる虚しさをもし覚えるならば、仏はそこに現れるでしょう。
仏はいつも見ています。気づかぬ私たちが愚かなのかもしれません。すれば、愚鈍の身になって弥陀仏にお頼み申すが一番の易行でしょう。
仏に失礼なき生き方を目指したいものです。

2024年9月4日