浄土宗 伝授山 長応院


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第7回 夢のリアリティ

夢については、昔から多くの人に語られている。寝ている時は眼を閉じてしかも五感を休ませている時でいながら、脳の何処かでめぐらされているのだろう。ただ、その中の光景や出来事は、非常にリアリティを持っている。朝目覚めて現実に戻ると何だったんだ、あの光景は、、、とドキドキしたりもする。いい夢だったら、これが続いて欲しい、覚めないでくれ等と思ったりもする。ほとんどが予想もしていない光景である。
日頃、昼間の現実はおぼしき実体と五感のすれ違いの中で暮らしているが、仏教で言う実体やら五感やらすら無いと言うのなら、夢はどういう位置に属するのだろうか。五感の残像現象か、潜在意識という言葉で片付けられるか。おぼしき現実の浮遊感に何かあるというのなら、夢もその一つとして立派な現実であろうか。 リアリティで生きている、と言うのなら夢も身体感性由縁の世界感を持っていると思う。つまり、昼間の目にしている現実と夢の現実は大差ないと言う事だ。こんな事を言うと、昼間の現実が正しくて、夢の現実は妄想で余計なもの、夢に実体的価値観を持たせる事は危険だ、と言う人がいるかも知れないが、心の作用を阿頼耶識に迄求むならば、夢見る間も修行の中なのであろう。 果たして、修行僧の夢はどうなんだろう。私は、年頭、初恋の女性が出て来てウキウキしてしまった。(笑)

2011年1月24日