浄土宗 伝授山 長応院


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第29回  問い続ける仏教

仏教のゴールは無常の悟りである。だが、2500年もの永きに渡って決定的なゴールを人類は達成出来ていないとも言える。故に仏教は哲学に収まらず宗教になってしまった。これは、悟るに悟りきれない現実、彼岸と此岸の間の嵐である。悟りを究極と理解した所でやっぱり何処かで完璧を躊躇する思いが到達をはばかるのかも知れない。その微塵な思いは、人間ならではの思いかも知れない。悟りと死はイコールで無いにせよ、何処かで死を完璧な思いで見つめて来た様にも思える。浄土教は、その辛さを救ってくれたのかも知れない。対しては、密教は難行にも生きながらにして悟りを得る事が出来た。いずれにせよ、悶々とした仏教のゴールは教学的な固持付けで片付かない。人間が片付かない問題を他力として引き受けてくれた阿弥陀仏は法然上人の言うところの「思いわずらいなし」と大安心を示して下さった。が、それでも安心が持てぬ我身は凡夫として今なお問い続けているのだ。理屈や観念では無いと思いつつも。はてはて。迷僧の愚痴である。


2013年8月19日