浄土宗 伝授山 長応院


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第28回  生きる指針=信仰心

とかく私達は日々の暮らしの中、次から次へと時任せに大切なものを忘れて過ごしてはいませんか?立ち止まってふと気がつくと自身が迷いの中にいる事にむなしさを覚える時がありませんか?何故生きるのか、何故働くのか、何故存在するのか、考えたら前へ進めなくなってしまうでしょう。私達は、大きな宇宙の生命体の中にいます。そこには、因縁生起、無常という釈迦が説いた法の摂理の中に右往左往しています。その法を頼りに問い続ける精進がいわゆる生活という事なのでしょうが、現在、ここは、資本主義の社会にあっては働いた対価値によって生きている事だけがリアリティを持っていてそこに明け暮れしてしまいがちですが、本来、先の解釈からすれば、それを超えた大きな智恵を見いだす事に命の意義があるかもしれません。すれば、そもそも平等に授かった命ですから、経済的な貧富はともかくも平等の人間の暮らしの中で、迷いを共有し合い、いつもその法に導かれていなくてはなりません。それが、迷わない生き方、つまりは、仏法に信仰心を持って生きる、ポジティブな有り様なのです。


2013年3月17日