浄土宗 伝授山 長応院


住職の豆コラムアーカイブ一覧へ戻る

第24回  生死

死なない人はいない。ほとんどの人は死を恐れる。だが、いつか死は訪れる。この事は、どうにかすると、生は尊重されて死は末期であるかの様に解釈される。命は尊いと軽々しくも言いたくはない。生の執着にはある根拠がある。つまり、事物的な執着と自己愛の執着である。それらが全ての世界観を創る根本となる。が、いつかの死に対してあまりにも思いが絶大すぎると思う。生が全てと言う人は、唯物実存派であって、万物万霊のうつろいのスパイラルに頑だ。生は死の原因であり、死は結果だ。万物の因果の理からすれば通りすがりのうつろいだ。これを何とするか、感じるか。良い悪いの話ではない。生死のスパイラルは、天文学的に何処からか始まり、何処かで終わるのかも知れない。ただ、ここに在る、と言う存在、と無常だけが唯一の命と何かの証なのだ。当たり前だが、人々は今在りし一点で語る。一方、この感覚を覚えるものは、万物宇宙へとつながる。とりあえず目の前のものとの勝負である。我、たまたまのヒトであるからに。


2012年10月11日