浄土宗 伝授山 長応院


住職の豆コラムアーカイブ一覧へ戻る

第18回  思いで生きているという事

人は何故他人の死で悲しむのか、何故子の誕生を喜ぶのか、老いに寄り添い、病に心配するのか。親子の因縁、共同体の因縁。結びつきの中には、他への思いがあるからこそ、愛を感じ、憎しみを覚え自を確かめる。ある意味では、自は架空であり、怪しい他に寄り添う「思い」でしか我々は生きていないのかも知れない。実体に執着する間もなく、、。心配、心配り。心で浮遊する暮らし。

目の前のコップもコップとして理解しているから安心なのであって、実はコップでなかったらどうだろう。思い、思い込みで私達は、何処かで安心をしている。ずっとそう思っていたのに、実は、そうではなかった、そうなると、自分の判断が疑わしくなって喪失感を覚えるかも知れない。これも思いの中で生きている事例だ。

そうなってくると、私達は、思いの中で、心の中で浮遊して生きているだけではなく、一方では、何かを求めて生きているのかも知れない。実体無き実体の中で願いで生きているのかも知れない。目の前のコップはコップであって欲しいと。

仏教は問いから始まる。問い続けるのが仏教であるのかも知れない。問いと願い、自他力によって生きる証である。

2012年1月4日