浄土宗 伝授山 長応院


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第32回  無という事

もともと、何も無いのだ!!とはいえ、無に帰るだとか簡単に言えない。なにせ現にそう言う自身は有だからだ。有から無には向かえない。有は有である他に無い。無を望郷するだけだ。つまり無は無いのである。有から事を始めなければ行けない。無は有によってあるということだ。この事と、有によって持たされた無は永遠の妄想である、か。有の世は何だという事になる。自己の有の執着である。そこから繰り広げられた恒久さかも知れない。でもその恒久さは有である。無でない。結局、無は二つある。無の無と有の無である。確かに無は有によって定義されないが。さて、死ぬ事は無になる事か?帰る事か?有あっての究極の無かも知れないが、有を持っての無でしかないだろう。つまり無はないのだ。つまり、自身がこの世に有りて無を感じる事は既に有である事だ、ということである。
極楽往生とは有の超越であり無に帰る事ではない。帰るのではなく行く事だ!


2014年2月1日