浄土宗 伝授山 長応院


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第25回  感謝と希望

ひとはひとである他に有り得ないし、ひとが思考し行動するもひとの領域であります。宗教や芸術はひとをもってあるのか、ひと以前からあるのか、この問いもひとの内であります。ひととしてひとであるが故に、どこか刹那な思いがあります。こういった事を想う時、ひとの内の雑踏を想う時、佛の慈悲がいとおしく有り難いと思うのであります。刹那さが慈悲にかわる時、救われる事の有り難さをつくづく思うのであります。仏教の答えの一つとして浄土教があるのは、ひょっとしてこんな背景があったのかもしれません。我々は、しっかりと希望に満ちて阿弥陀さまの本願にすがっていきたいと思うのであります。


2012年11月4日