浄土宗 伝授山 長応院


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第4回 HopeかPeaceか

煙ったい話だが、HOPEなのかPEACEなのか。どちらも軽くなっているようだが。本来、どっしりと品格のある重みを感じるものだった。七つ星はポストモダンとして登場し普及したにもかかわらず今だ軽率に大衆をだまし続けている。やはり「希望」なのか「自由」なのかという問題は七つ星によってすり替えられよう簡単な事ではない。Lightの冠をつけて語れよう問題であればそれは片付けられない事として安易に語彙を軽量化するだけである。
そもそも煙草につけられる名前にふさわしいのか。僕は希望か自由かという問題を煙草を奥深く味わいながら考えるにはふさわしいのかなあと思う。
だから、そんな時間を与えてくれる煙草は好きだ。
以前、写真家の森山大道さんがLight Peaceをふかしていたのを見て、ああ森山さんもとうとうLightになったのかあ、と思った事がある。それだけ「自由」という問題が軽くなったのか、と思っても見たりした。
希望か自由か。はて、今僕は希望派であり「願い」であり「祈り」であると信じているところだ。はたして我々は完璧な自由を得る事は出来ようか。それよりも希望を信じて歩む事自体がもっとも美しく神々しいのではなかろうか。自由を得るに戦う自力より、願いに込めて静寂に他力を信ずる方がより悟りに近く思える。

2010年11月10日