浄土宗 伝授山 長応院


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第9回  本能と欲望を律するもの

チリの鉱山で生き埋めになった事故がありました。地下では地上から物資が送られようになってから喧嘩やいざかいが増える様になったという事です。それまでは、不安ながらも神に祈って残された食料を秩序が守られていたそうです。日頃、私達は、律する事を意識しないと欲にかまけて本能を丸出しにしてしまいがちです。そもそも戒律は、その道を極めるにあって乱すものに線引きをしたのですが、上座仏教では、戒律主義を徹底するもの、大乗仏教では、大まかになっています。そこには、歴史が学んだ薫習意識(身にしみ込ませる事)が働いたのでしょうか。しかし、最近、これも希薄になって来ているようです。法然は往生を願う事自体が重要であると申しております。つまり、先の様に、不安の中に神仏に、崇高なものに祈る事の中に自ずから戒律の種が蘇るのであって、念仏の中に理屈無く戒が備わるのだという事でもあります。
南無阿弥陀仏の念仏は、やはり自戒自戒と言えども愚鈍の身、凡夫往生の極みであります。


2011年2月20日