浄土宗 伝授山 長応院


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第13回  知恵と智慧

かつて「日本沈没」を大ヒットさせた小松左京は「それでも人間の知恵を信じる」と言って亡くなられた。確かに、近代の物質文明の発展は著しく、科学の発展も凄まじい勢いである。自然に立ち向かう人間は、その限度を知らない。言ってみれば、問題の原子力への道程も必然なのかも知れない。地震・津波も将来人間の手に寄って止める事も想定の内かも知れない。過去にまさかと思われるものが今当たり前に手にとれる時代である。この先、何が起こるか分からないくらいだ。iPS細胞の技術もすごいものだ。国の威信もかかっている。裏では生産性と経済性の構図も図られている。
人間は欲と利便性に知恵が働き、物質化する。ダメだとダメをカバーする事を考え出す。この矛先が僕には不透明というか未知、あるいは無明の行為にしか映らない。身の丈程の生活で良いじゃないか、と思えど人間は所詮、欲深い。
智慧。悟りの為の知恵。真へ向かっての知恵。端的な知恵が智慧に向かってと言うのならいいんだが。共に大切なもの故に、今一度、「智慧」をしっかり考え、物質への知恵もさることながら心の智慧を身につける事をもっと学びたいと思いませんか。宇宙創成期以来の生命の道程から考えても人間の行為は不思議だし、逆を言えば、何も変わっていないのかも知れない。発展、進歩という時間軸に騙されてはいかん。時は流れない。現の実にしか存在はないはずだ。そこに働く知恵が正に智慧なのかも知れない。
いつしか我々は巨大なエネルギーを必要とされる社会をつくってしまった。そこに働く知恵も智慧無き知恵は自滅に向かうのだろうか。

2011年8月5日