浄土宗 伝授山 長応院


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第99回 縁と墓参り

皆さまは、日頃どのような心境でお墓参りをされるでしょうか。
元々一霊一墓だったのが江戸時代から檀家制度と共に都市型のお墓として今日のような形になりました。最近では、家社会が壊れつつある中、先祖代々墓は気が重いとか、海に流して欲しいとか言われる時代になりましたが、それでも仏教の教えが根本に理由となってあるのです。
五大葬(地・水・火・風・空)のような葬り方は古来にはあるのでしたが、衛生上日本では火葬がほとんどで、墓に埋葬する形が一般的です。
仏教の根本はよくご存知の「縁起」です。万象はとどまることのない因果の関係で成立しているということです。例えば自分の命も両親、多くの先祖の結果としてあり、その自分も原因として他者、社会を結果として作っているわけです。
「お陰様で」という言葉にもそうした因果の中に生かされている思いの表れでしょう。正にこの思いがお墓参りの軸になっているのです。生き証の感謝です。その上に立って、偲び、想い、善根を手向け、自身の心を清浄にするのでしょう。
ですから、墓はメモリアル記念碑ではなく、亡き他者と対峙して自身を安楽に導くリアリティある霊碑としてあるできでしょう。
年忌ごとに亡者の事を思いだせよ、とだけ申している訳ではありません。自身に照らし合わせてその存在を見極め感謝と共に万象の在り方を感じ取る事が目的だと思うのです。
そのきっかけにはカタチというものが私たちのおろそかさの中に必要で、よってお墓の存在はありがたいものなのだと考えます。諸仏と私の接点なのでしょう。ただ思う、だけでは身に感じないものです。


2019年10月23日