浄土宗 伝授山 長応院


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第90回 法事、墓参り

仏様の何回忌の法事とありますね。(満)1周忌から始まって(数え)3回忌、7回忌と後は3と7が付くサイクルで当たって来ます。関東では、43、47回忌は4が死と重なって(神道の影響か、武士社会の影響か)風習的にいたしませんが、37回忌の次は50回忌となりその次は100回忌となります。
中国の吉祥の数と言う風習から生まれたものですが、いずれにせよ、死後の節目に供養すると言う習慣です。 この根拠がどうであろうとも、一番大切なのは、仏教の核心である「縁起無常」があるわけです。つながりで生きている事。先祖と自身。
墓参りも法事も不透明な自己存在が明らかになる清々しさに日頃の雑念から解放される事なのでしょう。それは、直感的に命の問題と触れ合うひと時として重要な日常の糧になるものです。
欲の消費に追われている日頃、正に大切な、且つ人間を正常に戻す気づきだと思うのです。
とかく今日は培った習慣が消え個人主義的な方向性を感じます。勝手なほど厄介なものはありません。他を思うことが自身を覚えるは、仏教の根本です。勝手に生まれてきた訳ではありません。
つながりや、他者を覚え働きかける事が自身にとっても最良の功徳なのでしょう。
私は私、あなたはあなた、と豪語する人ほど無明なことはないでしょうね。
再度申し上げます、つながりの中で生かさせて頂く命の事をもっと思慮していただきたいと思います。
仏事はそういうチャンスを与えているのだと思います。



2018年12月2日