浄土宗 伝授山 長応院


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>第85回 My Temple/檀家制度崩壊?

「お前も死ぬぞ」という標語を門前に掲げた寺がツイッターで話題になりましたが、寺からすれば当たり前の言葉で死なない人はいないのですから当然でしょう。誰しものが、その道理をよそに欲の消費に勤しんでいるのです。世の中はそうかもしれませんが、道理にかなうものはありません。じゃあどうするのですか、という質問に対して、だから生と向き合うのです、と言うところでしょうが、死のリアリティが無いが故にそっぽ状態でしょう。そっぽを向いても「お前も死ぬぞ」なのです。どう死と向き合うか、これが仏教の確信とも言えましょう。
釈迦はその道理を悟り、各宗祖はその答えを編み出し、布教してきたわけです。しかし中々分かってくれない、と思いつつも今日まで至るのです。そこで出来たシステムが檀家制度だったとも言えます。勿論、江戸期の政策の絡みもあったにせよ、自分の寺、家族の寺が身近にあったわけです。
最近、核家族化、個人化する社会のなかで、そう言うつながり、縁が断ち切れ、形骸化、形式化などと言って勝手な宗教観を語り出すのです。いかがなものでしょう。
檀家制度、いや制度と言うものでは無いにしろ、自分の寺を持ってしっかりと信心を育てて、先の命に関わる根底を探り知恵を学ぶことは、当然とも思うし、いいシステムとも思われます。命は繋がっているのですから。親が嫌いだと言っても親からいただいた命です。好きだ嫌いだは、自身の分別でしょう。自分勝手では無い、自分には気づかない自分があるのです。勝手をしばらく置いておいて、法に耳を傾けませんか。先人がいい形を設けてくれたのですから、私たちの寺(菩提寺)に寄り添ってみませんか?そして、我が命を見つめ直し、しっかりと生を受け、しっかりと往生を模索しませんか。
あなたの存在は、必然としてあるのです。家族も先祖も。命の流れにあるのですし、往生のそかいを遂げる過程にある、それがどう言う意義があるのでしょうか。与えられたるこのご縁を大切に受け止めたいと思います。よりそのつながりを知っているお寺によって仏の弟子になることは、いいご縁と思いませんか。いつでもお待ちしております。



2018年8月8日