浄土宗 伝授山 長応院


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第83回 仏教、アップデートする時期

思いますに、目まぐるしい社会状況の変化する世相にあって、お寺の立ち位置がおかしいことになっております。震災や自然災害が多発する中、その不安を寺によりどころに求めるよりも、SNSなどのネット社会の放漫さにぶつけて、過度な情報により不安を煽るところとなり、現実社会が空虚になりつつあります。その結果、個人主義的な妄想に安住を求め、とも生き社会の過疎化を感じます。
その中、寺は、葬式仏教や形骸化された仏教、檀家制度崩壊、家制度崩壊などと揶揄され、培われた風習も簡略化または省略され、益々個人化する宗教観を覚えます。ひとえにそれを末法だとか、聞く耳持たずと申しませんし、法を説く寺側の問題も確かにあります。形式化した習慣にあぐらをかいていたかもしれません。しかし、こうも世相と寺に観点の違いが明らかになって来ると、勿論、仏教はその性質として時代に変化しながら寄生するところがあるのですが、大きな改革的アップデートが緊急課題となってきました。
核家族化、女性の躍進、共働き、子育て、高齢出産、少子化、高齢者の増加、人権問題、政治情勢、働き方、経済概念、そして自然現象の変化、、など心の問題の対処の裾野は広がっています。家族内も壊れて家の主人経由から法の便りが末端に到達しません。近代の個人化、消費社会への警告に気づかねばなりません。
具体的には、仏教ないし浄土教への正しい理解を示して、葬儀や法事など風習的な方便を変えて行くこと。超宗派現代仏教(今の仏教)としてのあり方を模索すること。寺自体を社会に開放して新しいコミュニティーを形成して行くこと。生活の多様性と関係付けること。布施の精神をしっかり護持し啓発して行く事などが挙げられます。
不発ながら、私の代で現代仏教と現代美術の模索をギャラリー空間を寺につくって思索してきましたが、一般の方は大勢来てくれますが、檀信徒様が興味を持ってきていただいた事はありません。残念ではありますが開放された教化として新しいご縁を持つことはできました。最近、色々な若手僧侶が外で活動していますが、エンタメ化傾向で終わりがちです。大切な落とし所のすれ違いが残ります。
都会の寺という条件はまた難しく、寺での人の往来が行事以外少なく近隣に檀信徒さんと接しておらず、寺に行くのは大変でしょうし、その距離感がそのまま活動の結果に出てしまうのでしょう。僧侶は寺から出向かねばなりません。都会だからこそ寺が必要と想像してもコンタクトが薄いのが現実です。寺という磁場を変えてゆかねばならないでしょう。ここの地域では一軒家の老人がなくなれば、すぐさまマンションに変わり、ニューファミリーが住み、その方々はいずれ引越ししてしまいます。都会の寺はその中で意味あることをするべきでしょうが、維持が大変です。小さな寺は集約されてもいいだろうし、寺という箱を大変換してもいいだろうと思います。地域に定住性がないというのも苦慮するところです。グチになってきましたね。
何はともあれ、大震災や水害等、自然災害多き今、地球全体のことまで視野に入れれば、私たちは、命の問題をしっかりと心得ていかねばただ不安を重ねるだけです。往生のための心得に生きることが究明課題です。共にしっかりと対峙していきましょう。



2018年7月20日