浄土宗 伝授山 長応院


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第80回 過去は常に新しい

今の我が身は、過去に薫習されている唯識の表層と考えれば、瞬間を捉えられない「今」は、常にアップデートされて新しいのであります。そうであるならば、過去にとらわれた妄想に生きることをやめて、止まらぬ「今」に新鮮な無常観とお付き合いする覚悟を懐に収めて頂きたいものであります。
生死は思考の中にあるのではなく、「今」にあるもので、生死の臨界線上に立ち現れているのでしょう。
しかし緊張することもありません。思考をやめて、求めることをやめれば良いのです。とは言っても欲する我が身はそうそう自然体とはいきません。
唯一、そうした難解さや緊張感、苦悩を大きな他者に預ければ良いのです。それが阿弥陀仏の役割かもしれませんし、阿弥陀仏の本願でしょう。
妄想の過去に執着して苦を感じる我が身は、弥陀に救われるという担保にアップデートされるモチベーションで生きていけるのだろうと思います。



2018年5月8日