浄土宗 伝授山 長応院


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第74回 時の経過

早いものでもう師走。時の流れを感じます。皆様にとりましてどのような一年だったでしょうか。省みて襟を正し良き新年を迎える時期かもしれません。さて、しかし時は流れるのでしょうか?
仏教では時間に関して「時は流れない」という理を持っています。なぜにと思う方も多いと思いますが、簡単にお話しすると、今感知している瞬間は今という表現しかありません。そこに常に過去未来が関係しあってその今という現象を作り、またその今は止まることなく原因と結果のつながりで変化し続けているわけです。常に止まることは無い、つまり「無常」という所以です。しかしながら、過去の体験を背負っているという妄想の中に信じているからこそ流れを成し、未来へとつながると思ってしまうのでしょうね。そこの根底には人間の生命欲があると思います。次の瞬間も死せず大丈夫だという妄想の安心感もあることでしょう。
このように我々は、冷静な理のもとに時や欲の話しのように、都合良く生きているのだと思います。ある意味では相反しているようですが、これが仏教の中でも二つの解釈を生み出しています。原始仏教のように徹底的に欲を消滅して悟ろうとするものと、我々浄土教のように欲のままに救っていただくというものです。この肉体が滅しない限り欲は消えないという立場です。だからゆえに残った心の行方が極楽浄土という世界になるわけです。
もし自身が道理に対して愚かと気づきを持つならば、どうぞお念仏行「一心専念弥陀名号」(もっぱらに念ず)に目覚めていただきたいと思います。

南無阿弥陀仏



2017年12月1日