浄土宗 伝授山 長応院


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第70回 極楽往生

幸せに楽に生老病死、そして臨終を受け止め往生することが仏教の浄土教の極意です。難行を経て至る悟りという解釈から(輪廻からの解脱)易行道を現したのが浄土教の教えです。悟に悟りきれない衆生をどうしたら導くこができるのか、法然曰く、観念の念仏ではない、知識や学問で得る念仏ではないと、そして衆生、凡夫の立場を明らかにして、愚を覚える事が念の発起だという訳です。苦から楽の対岸へと目標を一途に救われる身と目覚める事が大切だという事です。それが生活であり、恵みの臨終に報われるのです。
自発的な修行ではなく他力によって導かれる心身の霊性かもしれません。「悟り」というある種の妄想から(悟りを実感したいという欲求)縛られる事からの解放かもしれません。
確固たる真をこの手で掴みたいという欲求、それが不可能か無意味でもあろうか、ゆえにある浄土のお話なのかもしれません。



2017年9月2日