浄土宗 伝授山 長応院


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第69回 布施行

仏教では「自分は他者によって存在する」ということはよく申し上げていますが、それがより大切だということをもう一度お話しします。
「お陰様」「生かされる」「感謝」など最近若い人にも通じにくい言葉かもしれませんが、道理として我が身は自力でこの世に生まれてきたわけでもなく、思うように生きたくても中々思うようにはなりません。つまりは、思うようにしたいと我欲を張って生き、欲が欲を呼び、得られなければ怒りとなる現象を分かっていてもやめられない状況になることをつくづく理解をしなければなりません。欲の消費に人生を捧げるのでしょうか。求めることを止めよ、と法然は申します。縁起による命、生老病死は世の習いと受け止め、自然に逆らうこと無く、受け身に生じて有難きを覚え、念ずるはひとえに阿弥陀仏、救われる身として生きることに何の煩いもないことよ、と。他者に感謝するはとらわれの姿より尊いことでしょう。利己的な愚かさに気づかされます。
「世の人おもへらく、自力他力を分別してわが体をもたせて、われ他力にすがり往生すべしと、云々。この義しからず。自力他力は初門のことなり。自他の位を打ち捨てて唯一念仏になるを他力とはいふなり。」(一遍上人)
他者を思うこと、これが浄土教の布施行の根本であり、弥陀仏の本願に願う念仏行がそのような気づきをもたらす唯一の浄土宗の修行となるのです。



2017年8月11日