浄土宗 伝授山 長応院


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第68回 我無しの中の私

個の問題を語る時に、例えば個人表現とか自己存在とか、個の執着とか。個をアピールするともその個がどれだけの諸条件の他者で成り立っていることか。勝手すぎない?と思います。個は個だけで存在せず、縁起の中に必然と現れているのであり、私たちは「お陰様で」と言い返すのです。諸々のおかげの中に私がいる、心からそういう言葉を発することが出来た時、かすかに残った「私」が唯一、本当のわたしかもしれません。感謝に存在するわたしです。

自分勝手になってしまって愚かな自分を見出した時、その時こそが救われたのかもしれませんね。

道理に気づかず反れてしまいがちな私たち、自分が前へ前へと進みがち。念仏の功徳が染み入ることでしょう。どんどんと個人を主張しないと生きぬことができない世だとすれば、なんかおかしいと思うこの頃です。



2017年6月27日