浄土宗 伝授山 長応院


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第66回 道理へ気づくこと

* 仏事は分からない、面倒だ、と敬遠しがちな方へ
* 布施の相場がわからん、と思う方へ
* 墓参りだけでいいじゃないか、と思う方へ
* 寺のことはよく分からない、と思う方へ
* 坊主は何をしているのか、と思う方へ
* 私は無宗教と豪語する方へ
* しきたり、風習が面倒くさい、と思う方へ
* 死んだら終わり、と思う方へ
* 寺へ行っても何のご利益ないし、供養しても何の効果もない、と思う方へ
* 坊主丸儲けと思っている方へ
* 住職の言っている事は難しくて分からない、と思っている方へ
* 抹香臭い話はいやだ、思っている方へ
* 生活に仏教は役にたたない、と思っている方へ
* 坊主は何者だ、と思っている方へ
* 坊主は所詮生臭坊主だ、と思っている方へ
* 何宗だって結局同じでしょ、と思っている方へ
* 墓も葬式も戒名もいらない、と思っている方へ
* 坊主は常識がないのか、と思っている方へ
* 坊主は戒律をちゃんと守っているのか、と思っている方へ
* 寺は古臭い、と思っている方へ
* 法事や葬儀は単なるセレモニー、と思っている方へ
* 寺なんてほどほどに付き合えばいい、と思っている方へ
* 生活が苦しい中で寺に付き合う余裕なんかない、と思っている方へ
* 遺骨はどこかにでも撒いてしまってもいい、と思っている方へ
* 宗教は信じない、自分しか信じない、と思っている方へ
* 夫婦喧嘩して離婚したい、と思っている方へ
* 親戚や人間関係が鬱陶しい、思っている方へ
* 生きる事がつらい、思っている方へ
* 死ぬのが怖い、思っている方へ
* 死にたい、と思っている方へ
* 大地震や戦争が怖い、と思っている方へ
* 自暴自棄になっている、と思っている方へ
* 子供が言う事聞かなくて、と思っている方へ
* 人生を後悔している、と思っている方へ
* 親の介護が苦しい、と思っている方へ
* 何でうちだけ、自分だけ苦しい、と思っている方へ
* よそのうちが羨ましい、と思っている方へ
* 能力に限界を感じている、と思っている方へ
* 感情的になって見境がない、と思っている方へ
* 憎しみが抑えられない、と思っている方へ
* 死を語るのは縁起が悪い、と思っている方へ

まだ色々あるでしょうし、一つ一つに答えようと思いましたが同じ答えになると思いましたのでやめます。縁起無常という諸々が関係しあって起きているとどまらない現象の道理に基軸を持てばわかるのでしょうが、それがわからないのが我々凡夫です。無智で欲があります。世の常識とは異なる時があるでしょう。自分さえ良ければいい、でもないでしょう。縁で生きています。人、様々ですが雑な言い方ですが皆、二足歩行のヒトです。僧侶も大衆も一緒です。宿命として、必然として私たちは存在しているのです。

生老病死の四苦にプラス「愛別離苦:愛するものと別れなければならない苦」「怨憎会苦:怨み憎しみを持ちまたそのものに会わなければならない苦」「求不得苦:求めるものが得られない苦」そして総括的に「五蘊盛苦:人間の肉体と心が思うようにならない苦」を仏教では解きます。つまり「苦」は苦しい、というより思うようにならない、勝手にはいかない、という理解です。無い物ねだり、です。でも他者があっての自分です、耳を傾けましょう。

ここでの共通する事は「何々したい」と求める気持ちと「何々と思っている」ととりあえず気づいている点があります。
求めたり欲したりするのは人間の姿です。その姿を少しでも気づいて少々の自覚があればすでに菩提心があるという事です。仏になる素地があるという事です。問題は、気づかないでいる事です。でもそれでも救うぞ、という阿弥陀仏の慈悲はすごいものです。苦の輪廻からの解脱にもう弥陀の他力にお任せする生き方、この方が楽とも言えましょう。大きな他者です。

他人を羨む事より全てに自然体で仏様の笑顔が見える方がいいですよね。印相(阿弥陀さまの手の形)がOKと見えたら、OKです。心静かに呼吸して行きましょう。

結局、所詮、思うようにはならない、勝手は通らない、欲得は通らない、求めることをやめよ、の道理の上に立つべきでしょうが。でもね、今晩は何々を食べたいなあ、などと。我凡夫です。



2017年5月9日