浄土宗 伝授山 長応院


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第64回 一切唯心造(いっさいゆいしんぞう)

おせがきの季節が参りました。餓鬼に施すという布施行です。普段施されない餓鬼は何を食べようとも火になってしまい飢え苦しむ世界にあるとされています。人間界にいる私たちが施しを向け功徳を頂いて先祖に振り向ける法会で宗派問わず行われております。このお話の背景には、人間においても餓鬼のような貪瞋痴の醜さを持つそのこころを布施の精神で気付こうとするものです。
その法要で読まれるお経の中に「一切唯心造」と出てきます。万物の現象、存在は心より生まれる、ということです。外象は六感が感知して存在を覚えます。在るというのは正に心に在るということです。しかし同時に貪瞋痴のフィルターを通して勝手な分別をつけては、善悪、好き嫌い等振り分けて勝手な自分を作り出してしまいます。さて、その自分とはどこにあるのでしょうか。正に心より作れたりであって、その実体はありません。
とは言え、優しさの心には優しい実体感につつまれ、醜い心には醜い実体感につつまれるものです。施餓鬼会の布施行を通して心を磨いて少しでも優しさある、先祖諸仏に失礼なき心を養いたいと思う次第です。そして事象をその分別に偏らず冷静に全てを受容する穏やかな心(自然法爾)にしてゆきたいと願うのです。

2017年4月12日