浄土宗 伝授山 長応院


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第104回 心の相続

近頃、世を拝見していると核家族化はもとより個人主体化の流れをひしひしと感じます。ネット社会がもたらすまっぷたつの功罪とも言えようこの現象は情報から学ぶ事が優先されしっかりと消化できずに次が現れるといった時間の速さ、心に真摯に刻む事が忘れかけているような気がします。
感性や体験から学ぶといったややアナログ的かもしれませんが、仏教の申すところの「心で見ることの本当さ」から遠のいているかとも思います。
先日若い方がお寺に来られた時に、お墓参りの仕方がわからない、というのでお教えしたところスマホで検索したのと違うとおっしゃっていました。お墓参りとは言えその家々で相続されるようなもので親親族からなんとなく学ぶことが多いでしょうが。挙句に、法事や葬儀にあたってはその仕方がわからないという質問も多くなりました。布施にあっては支払いという対価価値でしか判断できない状況です。
個々の家族にも受け継がれた伝統があります。子供のうちは親のやり方を見て育ちます。そうして心から心へ受け継がれるもの大切さは昔と変わらないものと思います。お寺に来るときはできるだけ家族でいらして下さい。その年頃なりに感覚的にも「生老病死」「命」というものを学ぶと思います。いたって葬儀の時うろたえることなく、やり方などは住職に尋ねてくれればいいのですから心から亡者を送ることができる環境を普段から寺参りと共に養っていただきたいと思います。親には「心の相続」という責任があるのです。


2020年1月10日