浄土宗 伝授山 長応院


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第102回 他者/作家Ver.

世に作品というものは他者を作るもので、不確定な自己が他者を現す(モノとして)時に、ある種の確定的な自己を生む訳です。しかしながら、他者も不確定で、自己の現象、乃至は感覚の中で存在するのであり、共に成就することはないということです。
もしこのように万物が縁起として現象を現しているとすれば、常に正に虚界なのでしょうし、その中で特に写真の存在は、霊像として無常のうちに浮遊していくのでしょう。
このように認識も存在も無常ですから我々はファンタジーの中に命を落とし生死が循環しているのです。
よって我は真実か否かの問いは愚問になってしまうでしょう。


2019年12月19日